◎大工 |
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絹井嘉七
屋号<絹屋> |
天保六年(1835年)に生まれ、大正二年十月二日歿す。79才。 当時巷間で「絹屋の嘉七っさんか、大平の杢平さん」かと持て囃された名匠 |
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| 伊勢屋由松 |
岸和田北町に居住した棟梁。明治十二年の先代北町地車作事の時は弱冠二十二才であったといわれる |
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高橋若左衛門 <大若> |
岸和田市筋海町に居住した棟梁で明治十三年筋海町先々々代地車を作事する |
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尾崎杢兵衛 <大平> |
天保四年(1833年)に生まれ、明治四十一年十一月二十六日歿す。76才。 当時<絹屋>の嘉七さんと双璧をなした名匠。岸和田五軒屋町 |
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大崎吉造 <大駒> |
<大駒>名乗る棟梁で詳細は未調査 |
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櫻井義國 <左エ門> |
彫物師のところで紹介 |
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大崎平兵衛 <大平> |
地車の白眉といわれる元堺町先代地車(現・熊取町野田)地車を作事した棟梁。詳細は未調査 |
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朝代市松 <朝市> |
絹井嘉七の弟子。岸和田南町に居住する。 <朝市>型地車は枡合を大きく取り均整のとれた地車を作事する |
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山内安太郎 <大安> |
安政七年(1860年)に生まれ、昭和十一年十月十日歿す。77才。
岸和田中北町に居を構えた |
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田端辰次郎 <大弥三> |
明治元年(1868年)九月十九日生まれ。昭和十八年三月二十四日歿す。
二重見送りは辰次郎が考案細工したといわれる |
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櫻井新兵衛 <大新> |
昭和三年三月八日歿す。岸和田餌差町(現 筋海町)に居住する |
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奥辰之助 <大源> |
岸和田池ノ尻に居住する。詳細は未調査 |
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◎彫物師
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二代目
高松彦四郎秀延
(=安田卯ノ丸) |
先代彦四郎を師匠とする。岸和田山手地区出身といわれ、大工の地車彫物を一手に引き受けたといわれる。 名人気質の人で自ら刻む彫物は少ないといわれる。安田卯ノ丸はこの人であるといわれる |
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| 玉井行陽 |
岸和田市浜町大工棟梁<玉傳>こと玉井信吉の子として 慶応二年(1866)浜町に生まれる。昭和十二年泉北郡忠岡町生帰(現・生ノ町)で歿す。72才。
絹井嘉七の甥、二代目彦四郎の弟子 |
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保田(宇)夘ノ松
(=寺田(宇)夘ノ松 |
慶応二年(1866)四月七日、中河内若江郡川崎村(東大阪市)福田家に生まれ、大正五年十二月二十二日歿す。 52才。明治十年寺田家の養子となり結婚後保田姓を名乗る |
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| 宮地弥津計 |
江戸末期〜明治にかけて活躍。二代目彦四郎秀延とは兄弟弟子といわれる |
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| 櫻井義國 |
安政二年一月六日忠岡の大工棟梁<左エ門> こと櫻井家 櫻井藤太郎の長男として生まれる。 大正十四年三月二十二日泉大津虫取にて歿す。71才。大工・彫物をこなし「明治甚五郎」といわれた人である |
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(参考図書) 「大坂・浪花木彫史」 だん吉友の会 発行
「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」 若松均 著 |