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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
 祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。
バックナンバー 2001年度
2001年9月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

大正期の地車と工匠たち

茅渟の海原 沖を行きかふ 真帆片帆
   出船入舟賑ひし 泉州岸和田 港街
     濱風うけて謡れ動く 吹き散りなびかせ
 だんじりが 港の街を 駆けぬける
   郷土が誇りし 名代の祭 だんじり祭のあるところ 

 茅渟の海は血沼(チヌ)とも記し、記紀によれば神武帝東征の砌、負傷した帝の兄五瀬命がこの海で傷を洗ったことからついた名であるといわれている。時代は下って江戸時代、泉州佐野には豪商食野家があり、沖には多くの廻船の真帆片帆の船が行きかっていたことであろう。 そして明治、大正へと時代が移り、岸和田は泉州南部の中心都市として栄え、和泉木綿からつらなる紡績業や練瓦工場など、そしてこれらを運搬する輸送業により港は出船入舟と活況を呈し、岸和田の街が隆盛を極めた時代であった。

 今日、カンカン(看貫)場といわれる場所には物品の目形を計る計量器(カンカン計り)がおかれ、その名残りとして通称名が残っている。 この隆盛を極めた大正期の地車は現在の地車の形がほぼ出来上がった時代でもあり、活気のある時期でもあって、旧市地区他新調が多く、特に岸和田市政施行の大正十一年前後はもっとも多く新調されている。

 では、大正期に新調された地車や活躍された大工、彫物師を見ることにしましょう。

 

(↓クリックすると別ウィンドウで開きます)

■大正期製作岸和田型地車■


■大正期に活躍した大工・彫物師の紹介■

◎大工


絹井 楠次郎
<絹屋>
明治十年(1877)に生まれ、昭和三年(1956)三月二十三日歿す。八十歳
絹井嘉七の跡目息子。数多くの地車を請負い手掛けた。絹屋式地車を造り上げる。

朝代市松
<朝市>
2001年8月号コラム参照

中本 浅吉
<大浅>
朝代市松実弟。貝塚市津田に居を構えた

久納 久吉
<久吾>
昭和十九年歿。六十三歳。名匠尾崎杢兵衛の長女の子。
幼少より祖父杢兵衛に付き修業する

久納 幸三郎
久納久吉実弟。兄とともに地車を作事する

植山 春松 昭和二十年三月二十七日歿。七十四歳。
植山宗一郎、義正兄弟の実父。岸和田市上町に居住する

山内亀太郎
<大安>
昭和四十五年十月四日歿。九十歳。安太郎跡目養子。
安太郎師の片腕として腕をふるう

田端 辰次郎
<大弥三>
2001年8月号コラム参照

加奥久吉 岸和田市宮本町に居を構える老舗大工棟染
詳細は未調査

藤川 宗太郎 櫻井義國甥 その他未調査

別所 勝之助
<別所勝>
岸和田市下野町に居を構えた大工棟染
その他未調査

要 卯之助 岸和田市北町に居住し、櫻井義國一番弟子といわれる

 

◎彫物師


玉井 行陽 2001年8月号コラム参照

安田 卯ノ丸 2001年8月号コラム参照

寺田 宇ノ松
2001年8月号コラム参照

宮地弥津計 2001年8月号コラム参照

櫻井義國 2001年8月号コラム参照

開 正藤
(ひらきせいとう)
明治五年(1872)六月七日に生まれ、昭和十八年(1943)歿す
淡路生穂の人で、優美な表情のある彫物を刻む

三代目
黒田 正勝
明治九年(1876)に生まれ、昭和六年に歿す
二代目黒田正勝の跡目息子で開正藤の弟弟子

上間 庄平

明治十三年(1880)貝塚市に生まれ
昭和三十七年(1962)三月八日歿す。八十三歳。平間勝利一番弟子


金山 源兵衛
昭和四十年天神橋六丁目にて六十歳で歿。徳島の人

伊藤 松吉 上間庄平一番弟子。庄平師の仕上師として活躍

西本 舟山 生歿年不祥。祥細は未調査

一元 林峰 神奈川県横浜の人。昭和三年岸和田市宮本町で歿す

森 清秋 三重県桑名出身の彫師。祥細は未調査

吉岡 義峰
昭和十九年八月四日歿。五十歳。
京彫師・吉岡米次郎の子息で岸和田にて一元林峰の元で修業する

(参考図書) 「大坂・浪花木彫史」 だん吉友の会 発行
「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」 若松均 著

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記