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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
 祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。
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2002年2月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

昭和後期<昭和22年〜昭和64年>の地車と工匠たち

中之濱町地車
中之濱町地車


  日本の国土とともに心まで
    うちひしがれて 沈む世に
      心にしみいる 音ありき
   ドンドンと響きし だんじり囃子
     祭とともに 地車が
       心を振はす 源(もと)となる
     郷土が誇りし だんじり祭

 昭和16年に始まった太平洋戦争では、国土の多くにその傷跡を残したことは言うに及びませんが、このほかに人材の損失ということも大きな事柄でありまして、文化・芸術などとともに大工など工匠達の多くの若き命が戦場で散り、芽が摘まれたのであります。このことは文化や伝統・芸術などの継承にも少なからず影響が及ぼされたのであり、戦争による代償はまことに大きく二度と決してしてはならないのであります。
 さて、一方では戦後灰燼と化して国土とともに人々の心にも荒び沈んだのでありますが、昭和22年に岸和田祭礼の年番制が復活し、同じ年、岸和田市八阪町が地車を新調してより、岸和田型地車の新調も次々と続き、昭和20年地車が戦火の犠牲となった岸和田市中之濱町では町民が日掛をして資金を念出し、昭和26年見事に念願の地車新調がなされたのです。人々の心が荒び沈む世にだんじり囃子とともに心を振いたたせた出来事であったのであります。

 岸和田型地車の新調は昭和後期(昭和22年〜64年)は戦前とほぼ同じ約五十台が新調され、さらに昭和22年〜32年期と昭和53〜64年期に分けると一年に2.5台の地車が新調されていることとなります。しかし、途中昭和33年〜52年までの20年間には一台も地車が新調されておらず、この時代はほぼ高度経済成長期と一致するのです。
  この期間は全国的にも伝統・文化や芸術・祭などが敬遠され、みんな仕事一直線に励んでいた時代であり、これらが少し忘れられた時代でもあったわけです。しかし、時代の流れは伝統・文化を見直そうと動き始め、これに焦点をあてたマスコミの力によって徐々にクローズアップされ人気が高まっていくのであります。
  そして、昭和53年に20年ぶりの地車が新調されてより新調ブームが再び始まり平成の今の世までも続いているのであります。

 昭和後期、岸和田型地車製作の大工は戦前からの老舗の跡目息子や弟・血縁関係が棟梁として活躍し、昭和32年からはくわえて流れを汲む弟子も棟梁として活躍が見られるのであります。また、彫師では昭和22年〜32年期では主として木下舜次郎師の活躍が見られ、昭和53年からはその子息・弟子、孫弟子の活躍が多く見られ現在に致っています。それでは大工・彫物師を見てみることにいたしましょう。

 

■昭和後期に活躍した大工・彫物師の紹介■

◎大工


絹井 嘉一朗
<絹屋>
絹井楠次郎師の子息で戦後、父の跡を受け<絹屋>を背負った大工棟梁

植木 宗一郎
<大宗>
2002年1月号コラム参照

田端 元一
<大弥三>
昭和36年に生まれ、父辰治郎の跡を継ぎ活躍した大工棟梁

植山宗一郎
<大宗>
植山春松の長男で<久吾>事久納久吉師の元で数年の修行をして地車の知識を習得する。
世に植山式地車と呼ばれる型を作り出した。義正師は実弟

岸田 秀吉
貝塚出身の大工棟梁で詳細は未調査

麻生川 彦一 貝塚出身の大工棟梁で詳細は未調査

天野 藤一

<大安>の血を引く大工棟梁で岸和田市中之濱町に生まる
初めて請負ったのが自町の地車であり、 地車大工として売り出す。
35才の時である


天野 喜三郎 藤一師の実弟で兄の右腕として腕をふるう

天野 行雄 藤一師の跡目息子

植山 義正
<大義>
植山宗一郎師の実弟で戦後、地車衰退の時期も地車に対する情熱を捨てずに守ってきた工匠であり、今日の新調ブームには多くの若い工匠達に技術を伝えた功績は大きく、師が修復された地車の数はまことに多い。平成二年歿。現植山工務店先代

植山 良雄
<植山工務店>
現植山工務店棟梁で父義正師とともに多くの地車修復・新調を手掛ける

古谷 常吉
<大常>
明治32年に生まれ昭和49年に歿す。その他詳細は未調査

池内 福治郎
<池内工務店>
古谷常吉師に付き修業する
昭和53年、20年ぶりに岸和田型地車新調の堺市堀上町地車が師の新調初仕事である

吉野 為雄
<吉為工務店>
<絹屋>の流れである<朝市>事朝代市松派の流れ根来正一師の弟子である
昭和58年岸和田市荒木町は師の出世地車である
平成元年歿。吉為工務店先代

大下 孝治
<大下工務店>
<大弥三>の流れを吸み、<絹屋>の血も受け継ぐ
弱冠二十五歳で独立し、現在、大下工務店の棟梁として活躍する

 

◎彫物師


木下 舜治郎 2002年1月号コラム参照

松田 正幸 2002年1月号コラム参照

石田 利郎
2002年1月号コラム参照

上間 庄平 2002年1月号コラム参照

上間 貫冶
上間庄平師の長男

金光 秀堂・南陽

兄秀堂・弟南陽両師は岡山県出身で主に仕上師として腕をふるう
詳細は未調査

井尻 翠雲
(いじりすいうん)
森 曲江一番弟子で上丹生において活躍する

上田 勇造

上丹生彫 五代目上田勇助長男


十場 祐次郎
勇造師の実弟で岸和田市中之濱町に居住した

筒井 嶺よう
(つついりょうよう)
木下舜次郎一番弟子で淡路生穂の出身。 本名和男
岸和田市荒木町地車(昭和58年新調)は師の代表作
現在活躍中の彫師を多く輩出する

岸田 恭司
<木彫 岸田>
奈良県出身
筒井嶺よう師の弟子であるが、初め後藤更生師の門をたたく
春木宮本町は師の初めて責任者としての作品である

木下 賢治
<木下彫刻工芸>
舜次郎師の跡目息子
現在、数多くの地車新調・修理を手掛ける。
木下彫刻工芸の一門を率い活躍中

木下 頼定
<木下彫刻所>
賢治師の実弟で現在、堂宮・建築に活躍中

中山 慶春
(なかやま けいしゅん)

井波彫の川原啓秀の弟子宮繁師の弟子
本名政行

(参考図書) 「大坂・浪花木彫史」 だん吉友の会 発行
「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」 若松均 著

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記

 

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