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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
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2002年4月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

地車を支える工匠をたづねて<大工編その二>

池内工務店
  岸和田市大工町
大工町地車
岸和田市大工町地車

 池内師が流れを汲む<櫻井>一門の先祖は遠く南北朝にまで時代は遡り、出身は大和國は櫻井といわれ、南朝方に組するも敗れ、泉州は岸和田で大工職として再出発したのだといわれる。この櫻井本家は<大和屋>を屋号とし代々新左衛門を名乗り、この家より寛永十五年(1683)泉州沼村餌差町(現・岸和田市筋海町)付近に<大庄> <大新> <大与三>を屋号とする三大工棟梁が分家したといわれ、その中の<大与三>を屋号とする大工棟梁家の筋が池内師の流れである。<大与三>直系であり初代<大常>こと古谷常吉師の弟子である池内福治郎師が株式会社池内工務店の初代である。

 福治郎師は昭和三十年に常吉師が請負をした岸和田市山下町地車で昼は建築に精を出し、夜に地車仕事を勉強したのだという。そして独立した師は昭和四十七年、自町岸和田市大工町地車の大修理を見事に行い、昭和三十二年から続く地車新調衰退期の長い闇を破って昭和五十三年、20年ぶりに堺市は堀上町の地車を新調したのである。これが今に続く地車ブームの皮切りとなったのである。このあと毎年のように地車は新調されて世に送り出され、修理も沢山になされている。

 そして時代は昭和から平成になった年より主役は跡目息子幸一師に譲り、平成元年九月十日泉大津市は西之町地車を初めて組み上げこの地車が幸一師の出世作となったのである。
  地車の製作にあたり、二代目は
“昔の良いところはしっかりと受け継ぎながら、大切な施主の要望は最優先に応えられるよう心掛けています”
と、そして棟梁自身の考えや工夫とがバランスよくとれて、今の時代にマッチする地車が仕上がるようにとおっしゃっています。

 今年は十数台の地車の修理があり、二代目先頭に先代はじめ若き弟子達、そして幸一師跡目息子輝男君も見習中であり、親子三代に亘り地車に携わり総勢十数名、奮闘中の池内工務店であります。


池内工務店 地車製作年譜

製作年月 新調町
昭和53年
堺市堀上町
55年
堺市小阪町
56年
堺市毛穴町
57年
堺市平井町(子供地車)
58年
堺市深井水池町(上地車)
59年
堺市大東(上地車) / 堺市八田南之町
60年
堺市深井畑山町(上地車)
61年
岸和田市吉井町 / 岸和田市春木松風町
河内長野市下西代(高石市南先代<上地車>)
62年
堺市枡屋(上地車) / 堺市東堀上
和泉市上代(上地車)
63年
富田林市宮甲田(石川型) / 高石市東羽衣
堺市濱寺元町(上地車) / 大阪狭山市陶器山本(上地車)
平成元年
和泉市上町 / 高石市小高石(一区)
岸和田市西大路町
↑福治郎師
 
↓幸一師
平成元年
泉大津市西之町(上地車)
2年
堺市大阪狭山市隠(上地車)
3年
堺市片蔵(上地車) / 大阪狭山市川向(上地車)
4年
堺市上之 (上地車)
6年
堺市高松 (上地車)
7年
堺市家原寺町
8年
富田林市新家町(上地車)
9年
泉大津市助松町
10年
堺市上
13年
岸和田市三田町(完成) / 岸和田市下松町


<櫻井>一門系譜桜井一門系図

若松均著「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」 を参考に著者が調査補足

 

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記

 

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