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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
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2002年5月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

地車を支える工匠をたづねて <大工編その三>

吉為工務店
 岸和田市宮本町
石才地車
貝塚市石才地車

 <吉為>初代として看板を上げられた吉野為雄師は師匠が根来正一師であり、根来師は、世に“朝市型”と呼ばれる、枡合を広くとり、どっしりと安定感のある地車を作事された<朝市>こと朝代市松師の孫弟子にあたり、名門大工棟梁家<絹屋>の流れを汲むこととなる。
  為雄師は昭和五十一年岸和田市積川町西先代地車と同町橋室地車を大修理されて地車大工として名乗りを上げられた。
  そして昭和五十八年に泉佐野市長滝中ノ番の元岸和田市大工町先々代の四ツ屋根カラクリの地車を見事修復され、昭和五十九年には彫物師筒井和男師と組んで新調した岸和田市荒木町地車を作事して世に<吉為>の名を知らしめたのである。
  初代は体も大きいが心も広くその人柄の大きさに交流の範囲は非常に広く、“為さん”の愛称で親しまれ、地元岸和田市宮本町の町と地車を、そして郷土を愛した人であり、数々の責任者を務め上げ昭和六十二年には年番長という名誉ある大役を見事務められている。しかし、平成元年三月二十日為雄師は五十六歳という若さで惜しまれつつ急逝されたのです。

 このあとを受けたのが実子寿久師であり平成七年八月、貝塚市石才の地車を見事新調完成させ二代目<吉為>の出世地車として世に披露されたのである。二代目は地車製作にあたり施主のニーズには応えつつもこだわりを持っておられる。例えば木の乾燥には時間はかかるがこれを充分にして、細工後に木の狂いが生じないよう心掛け、仕事に関しても手間を惜しまず何年か後に地車が修復された時に、良い仕事をしてあるなという思いが得られるよう<吉為>として恥ずかしくない、施主に対して嘘のない真心の入った仕事をしようとされている。それには、工期がかかり、完成を急ぐ施主さんの多い風潮の中にあって二代目棟梁は施主さんに理解してもらい一つ一つ丁寧に仕事をして行きたいと頑固なまでにも職人気質な棟梁である。

 現在、見習の方が三人入り総勢七名と少数ながら、少数精鋭の吉為工務店である。

 

吉為工務店 地車製作年譜

製作年月
新調町
昭和57年9月 岸和田市大澤町
59年9月 岸和田市荒木町
61年9月 忠岡町濱之町
62年 堺市豊田
63年9月 東大阪市枚岡宝箱(太鼓台)
  ↑ 為雄師
 
↓ 寿久師
平成7年9月 貝塚市石才
10月 東大阪市艮(太鼓台)
10年9月 堺市福町中(上地車)
11年7月 河南町下河内(上地車)
13年9月 堺市伏山(上地車)


<絹屋・玉屋>一門系譜


絹屋・玉屋系図

若松均著「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」を参考に著者が調査補足

 

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記