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| 春木戎町地車 |
大下工務店の棟梁である大下孝治師は弱冠二十六歳で独立し、大下工務店の看板を掲げた若き苦労人の大工棟梁である。それには、棟梁の中に流れる数々の名門大工棟梁
家の血が棟梁を奮い立たせたのではないだろうか。
大下孝治師は<大弥三>事三代目田端元一師の愛弟子であり娘婿でもある 大下佐一郎師の孫にあたり<大弥三>とは縁故関係で結ばれている。また母方は名門大工棟梁家<絹屋>の出身であり、さらに<久吾>とも縁戚にあり、地車大工棟梁五流の三流もの血を受けて
いることになる。特に<久吾>事久納久吉師の実弟久納幸三郎師には特に可愛がられたといい、色々と教えを受けたという。棟梁が云われる『まだ駆け出しの頃<久吾>の幸さんの家に手土産持って教えを乞いに行くと「お前はまだ駆け出しや、今何ぼでも金がいる、わしは金や物欲して教えてるのやない、そんな気遣かわいでもええ」といわれた思い出が残る』といわれる。<大平>直系<久吾>の名工幸さんの目は孝治師の腕の良さを見抜き、この人にならと色々と教え伝えて可愛がったものと思うのである。
現在十四名と大勢の従業員を抱え一早く大下工務店を株式会社とされた。そして昭和六十二年泉大津市千原町(上地車)の地車新調を皮切りに、昨年まで約30台もの地車を新調されており、他に太鼓台、やぐらなども新調されている。
棟梁に地車製作についてお伺いすると、例えば見送り下の腰廻りは従来型式、見送り虹梁上の台輪も直線的なものと、屋根型は切妻が好みであると云われ、お話しを伺っていると棟梁はスカッとあっさりした男性的な仕事を好まれるようである。また巾の大きな屋根では唐破風が直線から上へ上がっていく曲線部分に厚みを持たせるようにし、これによりぼてっと野暮ったく見えないように箕甲を余計めに取るようにしているという。
また、切妻の地車の製作はむずかしいと云われる。入母屋では組物を正方形に組み上げるだけだが、切妻では色々な工夫が可能であり、その容姿もむずかしいのであろう。
色々とお話しをお伺いして感じたことは、棟梁は大変物腰のやわらかな温和な方であるが、内には男らしい性格を秘め、棟梁の中に流れる数々の名門の血も相俟って地車・建築に対する意欲は並々ならぬものがあると見受けられる。
今は若きを育てるための田端幸一師が若い力の頭となって若き力を引っぱって活躍され、実子大下顕広君も仕事をされている。さらに、親戚である高倉三郎師も脇棟梁として支えられ、大下工務店は結束固くこれからも次々と世に地車を送り出されていくことであろう。
今年は岸和田市沼町・貝塚市地蔵堂地車が新調中であり大変忙しい最中の大下工務店である。
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