| 2002年7月号 |
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地車を支える工匠をたづねて <大工編その五> |
| 今回は「地車を支える工匠をたずねて<大工編> の締め括りとして、新生工務店の紹介です。
(※五十音順に紹介しています)
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| 岸和田市中之濱町地車 |
◎あまの地車製作所 岸和田市中之濱町
<あまの地車製作所>は天野三郎師といとこである天野愛師により創業された地車製作所である。
天野三郎師は天野藤壹師の二男であり兄行雄師とともに天野工務店で地車を製作されていた。天野一門は岸和田濱の名門大工棟梁家<大安>と縁故関係にあり祖父天野政治郎師は<大安>事山内安太郎師のもとで地車も手掛けたという。
そして、昭和十九年地元岸和田市中之濱地車が空襲のため焼失し、昭和二十六年町の為と一心不乱に始めて中之濱町の地車を新調されたのが父天野藤壹師である。「トントン」さんと親しみこめて呼ばれる藤壹師も当時は他の大工から誹謗中傷もあったという中、弟喜三郎師の協力や彫物師木下舜次郎師らの力作によって見事立派な地車を新調されたのである。
そして、昭和五十八年岸和田市阿間河滝町地車新調では後見役となり長男行雄師が棟梁となって二十六年ぶりに地車を新調したのである。しかし、種々の事情により天野工務店は閉鎖を余儀なくされ、三郎師と喜三郎師子息の愛師二人で平成十四年二月<あまの地車製作所>として再出発。その初仕事が阿間河滝町地車の修復となったのである。
三郎師は
「地車の顔は屋根の格好(型)にあり一番気を遣っている。<あまの>独特の特徴ある格好の良い屋根になるよう型を造り、地車全体のバランスと上手く収まるように努めている。」
と仰る。口数の少ない方であるが地車に対する情熱は熱く、これからも愛弟子とともにがんばっていかれることであろう。
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<大安>一門系譜
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| 若松均著「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」 を参考に著者が調査補足
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◎井上工務店 岸和田市畑町
井上英明師は昭和41年生まれの36歳、若き棟梁である。元々親が大工をされ、自身は岸和田市塔原町の藤原音松師、為三郎師、晴彦師と三代続く藤原工務店の晴彦師に師事し錣建(しころたて)の家を数多く手掛けてきたという。
そして、平成4年4月に独立し平成9年地元生まれ町である岸和田市吉井町地車を修理されてより地車を手掛けるようになる。平成12年には再び吉井町地車の大修理をし、現在平成15年秋の完成を目指し岸和田市は畑町の地車を製作中である。
井上師は地車を最初から習得したかったが父の馨師の勧めにより先づ建築技術を習得したという。そして今、地車製作を手掛けるようになり昔から続く地車大工の系統には属さないが地車の製作にはやはり格好よくバランスの取れた地車を造れるように努めたいというその仕事に対する実直さと地車に対する情熱で立派な新調地車完成を見れることができると期待される。
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◎北本工務店 岸和田市西大路町
岸和田市紙屋町生まれの41歳である北本信広師は昭和54年秋に天野工務店に入門してより23年になり、当然、天野工務店で腕を振るわれていたのであるが、種々の事情により平成13年9月末に独立。岸和田市西大路町に北本工務店の看板を掲げたのである。
北本師は
「藤壹師の技術を受け継ぎつつ自分なりにアレンジして北本色の強い地車を造るべく仕事をして行きたい」
といわれる。現在は、今年平成14年の完成を目指し和泉市は箕形町地車を製作中であり、同門の昭和53年生まれの泉谷浩文師とともに新弟子二人も加わって新しい活力みなぎる工務店である。
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◎隆 匠(りゅうしょう) 岸和田市筋海町
平成14年1月1日より<隆匠>として独立された田中隆治師は、昭和51年12月植山工務店に入門して26年腕を振るっていたが一念発起して独立した。
田中師は
「施主に対しては良心的に施主の立場になってその気持ちを大切にし、皆さんが喜んでくれるよう仕事をして行きたい」
と仰る。現在、東大阪市角田の地車を大修理中であり、藤井寺市津堂太鼓台も修理中である。
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泉州岸和田住 祭狂爺爺 記 |
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