“ギッシ、ギッシ、ギシと木が軋む
音を出しつつ地車が
町衆とともに岸和田の城下を練り歩く”
江戸時代、地車の車軸に樫の木が使われ動きが良いようにと松やになどをつけたという。その車軸はまさしく芯棒であった。下って明治に入り鉄の車軸が使用されるようになり、芯棒から芯金へと変わったのであるが、鉄の車軸の登場に伴いドビの使用、セッパ・メタルなどが使われ時代の変化とともに地車の足廻りも少しずつ変化し、スピードが増して行くこととなる。
現在でも工夫されている足廻りですが、例えば芯金の鍍金、ドビの中のオイルレス、ベアリングの仕様、モスターの仕様、スラストの取付などが色々あるが、足廻りは高度な日本の鉄鋼・機械技術が見えないところに取り入れられ、より早く、安全にと創意工夫されているのである。
また、昭和33年警察からのブレーキ装着も義務づけられ、装着されることとなる。スピードも増し、事故が多発してきたことによる仕方のない流れであったのである。
それともう一つ地車のコマは大工さんが円をかき、手斧ではつって丸く仕上げられていたのであるが、昭和30年代より鉄工所の旋盤でコマが巻かれるようになり、現在では丸柱・勾欄の保子木なども旋盤で巻かれている。そして昭和40年頃より土台妻下に足が入らぬようにと安全冊が取り付けられるようになり金物関係は地車の色々な部分に使用されているのである。
これらの必要上、岸和田には地車金物を製作されている職人さん、鉄工所があり、この方々に共通していえることは祭に参加し前梃子を持たれた経験から、地車の動きや足廻りの疑問の解消・創意工夫が生まれてくることである。
現在市内にある地車金物やコマ巻きなどをされている鉄工所を紹介しますが、前述のとおり何れの方々も地車・祭が好きであるがゆえに仕事をされ工夫もされる。ここでも地車を支える職人さんの知恵と姿が見えてくるのである。
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