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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
 祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。
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2002年9月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

岸和田型地車と彫物

“ 秋風にのって聞こゆる だんじり囃子
    囃子でわきたつ高鳴りに
       勇壮だんじり曳き出づる
  曳き出す豪華な地車は
     工夫を凝らして刻まれる
         各町自慢の彫物あり ”

 当今、岸和田だんじり祭の名も全国津々浦々にまで鳴り響き、今や知らぬ人とてない祭りである。しかし、祭は知られていても曳き出される地車が如何に立派な彫物によって飾られているのかご存知の方が、誠に少ないのではあるまいか?地車には各町それぞれ工夫を凝らした彫刻がなされ、じっくり見れば大変見応えのある代物である。

 さて、地車の彫物は欅材をもって彫刻されるが地車一台を造るには欅の良材が三千才必要であるといわれ、これを彫って仕上げると二分の一まで減少するという。つまり一千才となるわけである。一才は約一貫目(≒3.75kg)であるから約一千貫ということになる。現在では彫物の奥行が深くなったり、木柄が大きくなったりして今少し重くなっているようである。

 その彫物の図柄には<神話伝説><源平盛衰記><太平記><川中島合戦><難波戦記><忠臣蔵>などから題材がとられる。しかし、江戸時代は幕府に都合の悪いもの、誹謗中傷の図柄は禁物であり、藩はこれを検閲して取締り、都合の悪いものは取り付けを許さず、許可されたものだけが取り付けられたのである。この認められた証として岸和田藩は「岸極」の焼印を押したのである。明治になって題材が自由になると地元大阪で戦われた豊臣びいきの<難波戦記>などがよく彫られ、講談・浪曲などで良く知られる一般庶民に馴染みのある場面が数多く彫られるのである。

南町地車正面土呂幕
南町地車正面土呂幕

 現在では、一層地域を絞って、その町に伝わる物語やその町に関わる物語が地車の一部を割いて彫刻され、その町の独自性が強調されている。
 最近新調された地車では、平成七年新調の岸和田市南町地車には腰廻り正面の土呂幕、大・小連子、縁葛と大きく部分を割いて南町町内にある天性寺蛸地蔵に伝わる<蛸地蔵縁起>の物語が彫刻されている。特に土呂幕に彫られている大蛸に乗り錫杖をもって奮戦する法師の雄姿はまことに躍動感あふれ迫力のある面白い彫物である。

 また 、地車の彫物図柄の配置を考えてみると神話物は枡合など主に上部に彫られ(例外もあって、元岸和田市北町新調の地車<現奈良県大和郡山市地車>には、土呂幕三方に<神話物>が彫られ、これを踏襲した前所有町岸和田市大町が新調した地車の土呂幕三方をあわせての二台だけである)下部には合戦物、特に馬乗りの武者物が彫られている。そして、岸和田型地車には必ず合戦物が彫られるので、武者・人物・馬の彫物が必要不可欠となり、これらの表情が上手く彫られていないと人々の賞賛は得られず、ここが岸和田形地車の彫物の急所といえるのである。この他にも、瑞獣・花鳥風月なども配置されるがこれらの彫物は木彫の種類としては殆ど含んでおり、地車一台を彫りこなせたならば全国どこへ行っても彫物師は一人前としてやっていけるといわれたのである。また、岸和田の地車には勇壮な祭と人々の気性も相俟って荒々しい合戦物が好まれて多数の名人・名匠の手によって彫られているのである。

 今日、これらの彫物を彫られている彫物師の方々が岸和田には多数おられるが、伝統の技術を守るべく日々、こつこつとのみ打つ音をさせながら精進されているのである。

 

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記