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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
 祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。
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2002年11月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

地車を支える工匠をたづねて <彫物師編その二>

<木彫 岸田>

南町地車正面土呂幕
岸和田市南町地車 正面土呂幕

◎木彫 岸田   岸和田市土生町
 今回は木彫岸田師の紹介です。師は最初芸術的な仕事をしたいと仏壇の彫物師に入門して出発したのであるが、この仕事に充実感を感じず、社寺彫物師である後藤更生師の元へ入門し、彫刻の仕事を習得するのである。その後、洋家具彫刻にも興味を示し家具製造会社に入社する。そこでのちの師匠となる筒井和男師と出会い家具彫刻の仕事に専念していたのであるが、昭和五十二年、「大義」こと植山義正棟梁の要望に応じ筒井和男師とともに来岸し、地車の彫刻を手掛けていくのである。
  そして、昭和五十九年、岸和田市荒木町地車では筒井和男代表作として一門あげて総力を結集し見事にこれを完成させる。 

 昭和六十年木彫岸田として独立する。しかし昭和六十二年突然師の他界により、筒井師が請負っていた堺市深井北町の地車を岸田師が中心となって完成させる。現在は弟子三名とともに日々精進の毎日である。
  師がいわれるには
『仕事をしていてもいつも仕事から刺激をうけていたい』
という。
『出来上がった彫物を自分も他人も見て、見たときに何かを感じるような作品となるよう気持ちを込めた仕事をしたい』
といわれる。

 私見ながら、岸田師の作品にはいつも変化があり他に類のない独創的な図柄を見ることが出来る。また、同じ図柄であってもどこかに違った仕事をしてあって、躍動感があり見る者を魅了するところがある。そして地車全体の彫物の動と静とのバランスをよく考えているように思えるのである。素人の私が物申すことは失礼ながらお許し願い、これからも現在岸和田にたくさんおられる彫師さんにも刺激を与えられ素晴らしい作品を数多く残されんことを切望し、最後ながら御弟子の片山晃師・高濱輝夫師・前田明彦師たちの皆さんに、夢と感動を与える作品を世に送り出して行って頂きたいと願っております。

 

■岸田恭司師 製作年譜■

昭和59年
岸和田市荒木町 (助) / 堺市八田寺町 (助)
堺市八田南町 (助)
昭和61年
忠岡町濱之町 (助)
昭和62年
堺市深井北町
昭和63年
堺市豊田町 /  東大阪市宝箱太鼓台 (責)
平成元年
堺市深井中町 (責) /  泉大津市西之町 (助)
平成2年
岸和田市西大路町 (助)
平成3年
岸和田市春木宮本町 (責) /  岸和田小松里町 (責)
平成5年
岸和田市摩湯町 (責)
平成7年
岸和田市南町 (責)
平成10年
岸和田市五軒屋町 (責)
平成11年
堺市北王子町 (責)
平成13年
泉佐野市上瓦屋町 (責)
平成14年
岸和田市包近町 (責)


<木彫 岸田>系譜

<木彫 岸田>系譜



若松均著「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」 を参考に著者が調査補足

 

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記