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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
 祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。
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2002年12月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

地車を支える工匠をたづねて <彫物師編その三>

<木下舜次郎・木下賢治一門>

 

<松本彫刻> 松本幸規  岸和田市上野町

 松本彫刻の松本幸規師は木下舜次郎師最後の弟子にて昭和二十七年生まれの五十歳である。小さい折より大の地車好きで、初めは大工になることを考え大工棟梁の元へ行くが、そこで師匠となる舜次郎師と出会い師に誘われて弟子入りすることとなる。この時、十七歳であった。しかし、不幸にも三年後の昭和四十七年師匠の突然の他界により年季明けずして師を失い木下賢治・頼定両兄弟子の元で修行することとなる。
 松本師は師匠からよく云われた言葉に『木をこなせ、厚みをこなせ』とよく云われたとおっしゃる。この言葉には色々と取れる深い意味があると思うのであるが、私見ながら仕事をこなして良い仕事をせよという教えであると受け止めた。
 昭和五十三年独立。現在、弟子の西田継男・山中久史両氏とともに地車彫刻や寺社・建築物を手掛けられて活躍中である。平成七年新調の和泉市は寺田町地車は師の責任者としての代表作品地車である。

・系譜は2002年10月号コラムを参照

 

<木彫 小西> 小西清和

堺市下田地車 左土呂幕
堺市下田地車 左土呂幕

 岸和田市大手町に生まれ、幼い頃より地車を曳いて育った師は昭和五十五年頃、まだ彫物師志願の若者が少なき時代、木下頼定師に入門するも諸事情があり昭和五十六年木下賢治師独立とともに再入門し一番弟子となるのである。その後、持って生まれた才能に研究熱心さも手伝ってメキメキと腕も上達し師の片腕となるのである。

 そして、平成四年に年季明けをし、平成八年六月独立、木彫小西と看板を上げるのである。今、師は体調をくずし仕事に力が入っておられぬが、好きな彫刻仕事、自分に下された才能を今一度大切にして後世に良き作品を残されんことを切望し失礼承知の上、叱咤激励するものである。

・系譜は2002年10月号コラムを参照

 

<木彫 山本> 山本仲伸  泉佐野市泉ヶ丘

高石市富木町地車 左土呂幕
高石市富木町地車 左土呂幕

 山本師は昭和四十五年の岸和田生まれで、現在三十一歳である。幼き頃より絵や彫物が大好きで彫物を彫るような仕事をしたいと夢見ていたという。
 そして、平成五年五月木下賢治師に入門を許され弟子となり修行を重ねる。山本師は 『まだまだ中々100%満足できる仕事が出来ないが、これからも精一杯仕事をし過去の作品を見て世間に恥ずかしくない良い作品ができるように考えていきます』 とおっしゃっる。
  私見ながら中々センスが良く繊細な仕事をすると見受けた。陰ながら応援する次第である。現在は平成十一年六月に泉佐野市泉ヶ丘に看板を上げられ平成十四年二月に入門された愛甲福夫氏とともに修理中である岸和田市山直中町の彫物に取組中である。今年十月兵庫県三木市栄町の太鼓台新調を責任者として狭間四枚を刻まれている。

・系譜は2002年10月号コラムを参照

 

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記