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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
 祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。
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2003年1月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

地車を支える工匠をたづねて <彫物師編その四>

<筒井>一門 



<木彫 筒井工房>  岸和田市沼町

岸和田市稲葉町西 正面土呂幕

 木下舜次郎師一番弟子の筒井工房先代、筒井和男師は昭和24年淡路から 木下舜次郎師に入門し、昭和26年・27年と貝塚市東之町地車、岸和田市中之濱町地車の製作を経験し、地車新調が続く中、仕事に精進して昭和30年大阪市西淀川区野里中地車、昭和31年岸和田市土生町地車、同32年岸和田市中北町・真上町・八田町地車新調には舜次郎師の片腕として活躍され昭和34年に年季明けし岸和田市を離れる。
 そして京都にあった阿吽洞工房の佐藤玄々師請負で今も東京三越玄関を飾る「天女像」製作に参加するも完成を待たずして、神戸の家具製作会社の家具彫刻をする事となる。
 その後、昭和52年10月、故植山義正棟梁の要請に応え来岸し、再び地車彫刻をすることとなり多数の修復を手掛け、昭和59年には岸和田市荒木町地車新調を請負い、完成し号を嶺Y(りょうよう)と称するようになる。昭和61年には忠岡濱之町地車新調を完成し、これからという昭和61年12月20日、52歳という若さでこの世を去ってしまうのである。

  残された弟子達もそれぞれの道を取り、二代目筒井筒井伸師は22歳という若さであったため近藤晃師・松谷隆司師が支える中、木彫岸田師も協力の中、仕事をこなしていったのであり、昭和62年に完成したのが深井北町地車である。そして、平成元年4月、白井秀紀師が伸師の一番弟子となり、平成4年8月近藤氏独立、平成12年12月、白井師も一本立ちして現在は平成13年4月に入門した山本陽介君と松谷隆司師の三人である。
  伸師は「まだまだ勉強中であり、研究しつつ、恥ずかしくない作品を残すように」と日々、木に向かわれ奮闘中である。代表作としては平成10年新調の岸和田市稲葉町西地車がある。

 

<木彫 筒井工房> 製作年譜

昭和59年 岸和田市荒木町地車(責)
昭和61年 忠岡町濱之町地車(責)
  ↑和男師
 
↓伸師
昭和62年 堺市深井北町地車(責)
昭和63年 (株)太鼓正所有地車(責)
平成元年 堺市深井中町地車(助)
平成3年 岸和田市春木大道町地車(助)
平成6年 岸和田市春木八幡町(助)
平成8年 岸和田市額原町(助)
平成10年 岸和田市稲葉町西(責)
平成11年 泉佐野市上瓦屋町地車(助)


<筒井一門>系譜

<筒井一門>系譜

若松均著「摂河泉だんじり談義(地車工匠編)」 を参考に著者が調査補足

 

<木彫 近藤>  岸和田市畑町

岸和田市春木本町 土呂幕正面
岸和田市春木本町 土呂幕正面

 昭和31年7月生まれの46歳である近藤晃師は、師匠筒井和男師の急逝のあと、しばらく筒井工房で仕事をこなして支えられていたが、平成4年8月に独立する。
  師は徳島出身で県下学校で木工の知識を身につけられ、神戸の家具製造会社に就職する。そこでは10人程の木彫師の方々がおられ、その中に筒井和男師がおられたのである。昭和52年10月和男師が来岸するにつき、師に遅れること一ヶ月、年の瀬も押し迫る12月に会社の寮より荷物を車に積み一人で来岸、筒井氏に入門する。最初は使い走りばかりであり、その内に若い弟子が入って修理取替の松良・懸魚などの仕上げに追われる毎日であったという。
 元々、木を彫ることが好きなので依頼があれば寺社・建築など地車だけにこだわらないが今は地車彫刻が主である。堂々ベストな仕事ができることを心掛けられ、今は9月に新築された自宅兼作業場にて、心新たに平成10年2月に入門した濱中浩二君と二人で岸和田市今木町新調地車を彫刻中である。                       

<木彫 近藤> 製作年譜

平成6年
岸和田市春木町八幡町地車(責)
平成7年
貝塚市石才町地車(助)
平成9年
岸和田市春木本町地車(責)
平成10年
岸和田市稲葉町西地車(助)
平成11年
岸和田市春木南地車(責)
平成12年
泉佐野市上瓦屋地車(助)
平成13年
堺市伏山地車(上地車)(助)
平成14年
岸和田市包近町地車(助)

<雲棧洞美術院>  泉大津市池浦町

岸和田市大町 土呂幕正面
岸和田市大町 土呂幕正面

 雲棧洞美術院代表の松田武幸師は昭和39年生まれの37歳。昭和60年地車彫物師を志して淡路の松田(葛屋)正幸師を訪れ入門を願うも、師は高齢であり先を考えてとの理由で断られたという。しかし、父親の紹介で筒井和男師を紹介され、師は淡路にまで弟子入りに行くという固い決心に昭和60年12月に入門を許されたのである。
  しかし、昭和61年師匠の急逝により翌62年9月に工房を辞し、色々と考える毎日が続く中、師匠一周忌の済んだ昭和63年3月中頃から木彫岸田で仕事をし活躍されていたが、平成6年4月独立する。そして同級生で友人でもある立川靖雄師とともに仕事をされることとなる。立川師は中山慶春師にしばらく師事していたのである。
 最初の作品として平成7年東大阪市艮(うしとら)太鼓台の狭間四枚を手掛け、平成10年新調完成の泉大津市池浦町地車を責任者として請負う。
 平成9年より雲棧洞美術院を名乗り、平成12年には岸和田市大町地車を責任者として請負い、完成させる。松田師は「悔いの残らぬよう一つ一つ作品を大切に仕上げていきたい」といわれ、今は岸和田市下池町地車を製作中である。       

 

<木彫 鮓谷>   泉大津市高津町

 近藤晃師の一番弟子で、平成4年34歳の時にサラリーマンを転職して独立間もない近藤師の元へ入門する。師の仕上げをしていたが、平成13年5月に独立。泉大津市の実家にて仕事をされる。今年完成した岸和田市近包町地車の一部仕上げを手掛けられている。

 

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記