秋の稔りの稲穂が頭を垂れている風景を眺めつつ見物に行った泉州の祭礼も終わり、肌の寒さとともに心の寒さも感じる今日此の頃、祭り好き地車好きの皆様方は祭の後どのように祭の感を持たれて日々を送られていますか?
爺爺は今年縁ありまして某工務店にてアルバイトをさせて頂きいろいろと考えましたので、ひとりごとをお聞きください。それは、大工さん方はじめ彫師さん方の仕事の大変さ、危険さ、そして素晴らしい技術の発見がありまして、施主町さんの注文の多さでありました。また一方、昔の大工さんはこれ以上に労力を使って仕事をされていたという尊敬も痛感した次第です。
そのひとつにコマがあります。これは材質が国内の松材を使いますが、昔の作業は原木を手で挽いて切り、円を描く、それに沿って割り、ヨキや手斧を使って形づくりさらに鉋をかけて仕上げるのです。その労力たるや大変なものだったでしょうな。かつては物を作る職人さんが多い、だから、その労力を知っている人が多いからコマの数も最小限度に抑えて使わしてもうた。このコマの直径が二勺一寸ある約63cmですな。これだけのものを採るにはこれ以上の木がいるわけです。年間使われるのが約1600個必要とされています。一本で10個、少なければ1、2個の場合もある。10個と考えると150本、まずそれ以上の松の木が姿を消している。このだんじり祭盛んなりし10年の間に1500本以上樹齢200〜300年の松が1〜2年使って捨てられているんですな。その証拠に最近の木の市場に松が出にくくなったと言われていますな。一年に1500個のコマを2ヶ月ほどで機械で丸くできる機械生産時代であることなども感じ、昔よりも容易くコマができる。そこには祭ができる喜びと感謝の気持ちが湧いてこないような気がします。そうすると
「そんな祭やめてしまえ」
の声も出てくる。しかし、祭、地車好きの爺爺にとっては
「それはできん、後世いつまでもこの地車祭が続いて欲しい」
の願いがあるのです。
そこで爺爺の浅はかなる考えではあるが、コマを4つ使用している町は2つに、6つの町は4つにと減らせんのかいなとか、一年ごとに300本ほどの松の苗木の植林のお返しができんかいなとか色々と考えさせられました。そうせな祭ができんようになるかもしれませんもんな。祭を大切に物を大切に今年も祭のできた歓びと感謝と、そして次の世代のことも考えての祭をせないかんなと考えさせられました今日此の頃、夜長の爺爺の独り言講釈とご免蒙り失礼いたします。
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