岸和田型地車に彫刻される物語彫刻の中で、神話に題材を求めている部分は概ね枡合部分である。枡合に神話物がよく彫られるのはその形・面積・位置に題材の構成が上手く見合うことと、神話物は心理的にも上の位置にあるのが落ち着くせいなのだと推察する。例外的には岸和田市北町先代地車(現:奈良県大和郡山市郡山地車保存会地車)のように土呂幕三方に配されているぐらいである。
その神話物の中でとりわけよく彫刻されるのが「天乃巖戸隠れ」「素盞嗚尊大蛇退治」「神武帝東夷征伐」「神功皇后譽田別命平産す」である。とくに「天乃巖戸隠れ」が主枡合正面に配されることが多いのは、日の神にて最高神でもあり神々の中で最も馴染みが深く話の内容も知られていることと、題材の構成が上手くその位置に見合い収まりがよいことが上げられる。
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| 旧・五軒屋町地車 見送り |
また、「素盞嗚尊大蛇退治」もよく見かけられるが、この図柄は江戸時代に製作された旧岸和田市五軒屋町地車(岸和田だんじり会館展示地車)には見送り部分に彫刻されている。この八つの頭を持つ八岐大蛇を退治するという構図には迫力があり、強い力で魔を祓う(=疫病退散)という願いも込められた図柄である。また、素盞嗚尊には神話はもとより伝承や物語などがあり、これらを知ると中々もって興味がわくのである。
では、素盞嗚尊(すさのおのみこと)のことを見ると、神仏習合の時代、素盞嗚尊は牛頭天王(ごづてんのう)と称され京都東山に祀られ牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)・祇園社(ぎおんしゃ)・感神院(かんしんいん)とも呼ばれ、明治になり神仏分離から八坂神社と名を改め現在に至り全国に約三千の分社が祀られている。
牛頭天王とはインドでは釈尊の祇園精舎での守護神であったとされるほか、朝鮮新羅では熱病に効く栴檀を産した牛頭山といわれる山があり、この山には山の名を冠した神が祀られ、素盞嗚尊と同一視されたという。というのも素盞嗚尊は新羅の曽 茂利(そしもり)という地に居たということが「日本書紀」には記されており「ソシモリ」は「ソモリ」ともいい韓国語では牛頭を意味する言葉といわれる。さらに、八坂神社の創祀を社伝で見るに斉明天皇2年(656年)の創祀と伝え、この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝したとされる。八坂神社のある東山一帯はかつて渡来系の八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところとされ牛頭天王は朝鮮の高句麗系八坂氏の氏神であり、元々は牛の神様であるとされる朝鮮を源流とする陰陽道系の神であるという説が有力である。そして八坂氏の祖先とされる意利佐(いりさ)は高句麗の使い伊利之(いりし)と同一人物と考えられているのである。
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| 神戸市 弓場地車 懸魚 |
また、中世には「蘇民将来伝承」と結びつく。その記述に・・・・・昔、天竺(インド)北方にいた牛頭天王は南方の竜王の娘を娶るため御子とともに旅に出かけ、途中、巨旦将来という者に宿を請うも裕福で貪欲な巨旦将来に断られてしまう。次に請いた蘇民将来は貧しくも快く天王らを歓待をしてくれた。こののち牛頭天王は無事に旅を続け竜王の娘を娶った。その戻り道、天王は蘇民将来の家に立ち寄り「我はこれから疫病神となりて荒れ狂うであろう。そちの子孫が巨旦将来の家にはおらぬか」と聞いた。蘇民将来は「妻子がおります」と答えると、天王は「腰に茅の輪をつけておけばそちの親切に子孫は救おう」と言われ、そのようにすると巨旦将来一族は滅ぼされ、一緒にいた蘇民将来の妻子は救われる。牛頭天王は自ら「我は素盞嗚尊である」と名乗り、そこで後世に疫病あらば「蘇民将来の子孫なりと言い、茅の輪を腰につけよ。されば疫病から免れるであろう」・・・・・と“備後国風土記”逸文に素盞嗚尊(=牛頭天王)と蘇民将来の関わりが見られる。現在も全国の神社で六月に行われる“夏越の祓え”の茅の輪くぐりもここから来ているといわれる。
このような話や記紀の話を元に創作された浄瑠璃に近松門左衛門作の「日本振袖始」があり、その中の一場面が岸和田市北町先代地車(現:奈良県大和郡山市郡山地車保存会地車)の土呂幕(右)に彫刻され、この図柄を手本として岸和田市大町地車・岸和田市下池田町地車にも彫刻が施されている。
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木瓜紋 |
そして、貞観11年(869年)には京の都に疫病が流行し、これが牛頭天王の崇りだと噂され、日本全国六十六ヶ国と同じ数の鉾を立て祇園社から神輿を神泉苑に神送りしたとされ、それが祇園祭のはじめであるといわれる。御霊(怨霊)を退散させる祭り、御霊会(ごりょうえ)であった。また、民衆の中では牛頭天王を信ずるものはキュウリを食べることを戒めた。それは牛頭天王の紋が木瓜(左図参照)であり切り口が似ていることや、キュウリを身体に当てて邪気をとり河川に流す胡瓜封じのまじないがあったことからきているともいわれている。 他に九州最大の祭、祇園祭が行われる福岡市の櫛田神社の祇園山笠も祇園信仰の代表格である。 素盞嗚尊(=牛頭天王)を祀る神社は八坂神社のほか須賀神社・津島神社などであり、沼の天神さんも祇園感心院(八坂神社)より勧請され、八坂神社の前身である「天神堂」から沼天神といわれるのである。
また、素盞嗚尊を祀る氷川神社も有名であるが埼玉県大宮市にある氷川神社の総本社の創祀の由来をみると第五代孝昭天皇の御代、勅令をもって、関東のこの地を開拓した武蔵一族が信奉した出身地出雲国の簸川(ひかわ)上流にあった神社の分霊を祀って遷座したとされ、「氷川」の神号は素盞嗚尊大蛇退治に登場する「簸川」から派生したを名称を賜ったことによる。氷川神社は日本武尊が東征の砌、戦勝を祈願されたといわれている神社である。
このように、素盞嗚尊は日本古来の神に神仏習合により仏教・道教・陰陽道などの影響を受けた国際的な多様性のある神なのである。
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