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祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。 |
バックナンバー
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| 2004年12月号 |
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彫物うんちく四方山ばなし 第十話
「太平の世に忠義を貫く四十七士」
江戸庶民が拍手喝采 〜吉良屋敷討ち入りほか〜 |
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今回も引き続き忠臣蔵の物語であります。
幕府の片手落ちのお裁きに憤る大石内蔵助をはじめとする赤穂藩士四十七士は艱難辛苦のその果てに見事、仇敵吉良上野介の首級を取り本懐を遂げるのである。先月号から一気に討ち入りの紹介となりますが、季節は極月師走の十四日も迫り来ておりますので時期にあわせましてまづもって「吉良邸討ち入り」と「赤穂義士引き上げに江戸町奉行服部彦七の温情を受ける」を紹介致しましょう。
美しく咲くや桜の春弥生、勅使接待饗応役の播州赤穂藩主浅野内匠頭は江戸城殿中松の廊下において刃傷事件をおこした。刃傷相手は指南役高家筆頭吉良上野介。若き桜の内匠頭は御身切腹、御家断絶、相手上野介は軽き傷にてお構いなし。幕府の片手落ちのお裁きに浅野忠義の家来たちは生活の困窮の果てに同士から脱落する者や自らの命を絶つものなど艱難辛苦の歳月を経て今まさに仇敵吉良の屋敷に討入らんとす。武士のなすべき本来の姿が忘れられた太平の世にあって、忠義の二字に命を賭した武士たちの行動に江戸の庶民をはじめ日本中の民衆は感動し拍手をおくって称えて沸き返るのである。そこには幕府政治への不満や上層階級への民衆の憤りなどとともに、一つのことに懸命に損得ぬきにして尽くす義士たちの姿に心打たれ応援せんとする民衆の心情がある。
しんしんと降りくる雪のその中を大石内蔵助をはじめとする四十七士達は火消し装束に身をまとい、亡き君の無念を晴らさんことを胸に秘め整然と目的の地を目指すのである。 地車での忠臣蔵の彫物では小生が皆様に拝見して頂きたいのは元岸和田市中町の先代地車で現在は和歌山県橋本市東家地車の彫物であります。秀逸ですぞ。では、図柄の紹介と参りましょう。
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和歌山県橋本市東家 |
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「吉良屋敷表門討入り内蔵助陣太鼓を打つ」
時に元禄十五年(1703年)極月半ばの十四日、月下に光輝く白雪を踏みしめて大石内蔵助率いる義士達は本所松坂町にある吉良上野介の屋敷へと到着した。内蔵助は隊を二つに分け、すなわち自らは表門より討ち入り、嫡子主税を頭とする半数は裏門から討ち入らせた。采配一振り内蔵助、吉良の屋敷へ予てより周到に打ち合わせたとおり討入りす。江戸の夜風を震わせて一打ち二打ち三流れ静寂破りて打ち響くは山鹿流儀の陣太鼓。一年十ヶ月の苦労が報われんものと一心に太鼓を打ち鳴らす内蔵助。江戸の町へと鳴り響きわたる陣太鼓の音に内蔵助は今か今かと上野介の発見の報せを待つのである。
「義士の引揚両國橋に奉行服部彦七の温情」
臥薪嘗胆の苦労が報われ見事本懐を遂げた義士たちは、晴れ晴れとした表情にて整然と隊列を整えて大石内蔵助を先頭にまた、討ち取った吉良の首級は槍先にくくりつけ吉良邸を出発する。おりしも昨夜来の雪は上がり、日も東天に昇り始め、爽やかな空気を胸一杯に吸い込んで向かうところは亡君の菩提を弔う芝高輪泉岳寺。
その途中、両國橋に差し掛かれば、突如、大身の槍を小脇となした武士一人、江戸町奉行服部彦七である。 「異形なる者ども表通りを通ること罷りならぬ道をかえられよ」
と申し渡した。
今日は月の十五日、吉例の登城日である。表通りを進めば各大名家に出会うやも知れず、出会えば無事では収まらず、また上杉の追手が来るやも知れぬ。狭い裏道を行かせば多勢の追撃も防げようという奉行彦七の温情ある通行拒否であった。
それと察した内蔵助は「かたじけなし」と一同を促し永代橋へと道を変え無事泉岳寺に着くのである。
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写真提供: 野口写真
山本也寸志
井口和彰
泉州岸和田住 祭狂爺爺 記 |
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