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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
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2005年3月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

彫物うんちく四方山ばなし 第十三話

 大坂ゆかりの戦記「難波戦記」その参
 大坂冬之陣〜真田丸攻防から和議へ〜

下池田町 二重見送り 「真田丸の攻防」
(手前左)徳川家康 ・ (奥の騎馬武者)真田幸村

 前回の冬合戦に続き、冬合戦最後の一戦である真田丸の攻防は幸村が大坂城唯一の弱点といわれた南側に構築した出城である真田丸での一戦である。
  この攻防は慶長十九年(1614)十二月四日、徳川勢が怒涛の如く勢いにて真田丸に攻め寄せ、戦は始まった。打ち寄せるは前田利常勢、井伊直孝勢、伊達政宗・秀宗勢ら有力なる部隊。 幸村は出丸にできるだけ引き寄せて鉄砲や火薬によって攻撃を行い、徳川勢に多大な損害を与えた。 この鮮やかな一戦で「真田幸村」の名は天下に轟きわたるのである。

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下池田町 二重見送り
「真田丸の攻防」
写真提供 :山本也寸志
 真田丸の攻防を題材にした彫り物は少なく、最近新調された岸和田市下池田町の二重見送りに真田丸の攻防が彫られている。 真田丸の鮮やかな一戦に、さすがの家康も幸村を諭して降参させようと思い立ち、幸村の叔父である徳川方の隠岐守信尹(のぶただ)をして十万石のみやげをもって赴かせたが幸村は頑として聞き入れなかったという。 太閤の築いた難攻不落の大坂城は容易には落ちず、時は過ぎ行くだけであった。

  十二月十六日、家康は旗本・諸大名の中から、数十名の砲術家を選抜して南蛮渡来の大砲二門のほか大鉄砲百門をもって史上初めての一斉射撃を行ったのである。その一弾は淀殿のいた天守閣の二重目に命中し、柱が折れ侍女二人が粉砕されたという。ここでさすがに気丈なる淀殿も恐れおののき「和議じゃ!すぐ和議を結ぶのじゃ」と鶴の一声を発した。
  骨ある大坂方武将たちは戦に勝っていながら和睦とはと、切歯扼腕したのであるがどうしようもなく、豊家は破滅への一歩を踏み出すのである。家康は側室・阿茶局をもって淀殿の妹・常光院と再三和議の打診を行わせた。しかし家康の示す和睦の条件には淀殿が示した条件が一つも入っていないことに淀殿は憤慨し和議を拒否するのである。しかし朝廷が和議の勅使を下向させ和議は成立することとなる。
  和議成立とともに、誓紙血判の受け取りに、木村長門守重成と郡主馬助が家康本陣茶臼山まで向かった。捨て身の重成は様々の無礼をして家康を怒らせ、違勅を以って再び合戦へと望んだが、相手は老獪なる家康ゆえ事は無事に進み、重成は無事血判を受け取り帰るのである。

 しかし、和睦後家康は和睦の条件を反故にして、一ヶ月で条件にない堀まで埋めてしまい、大坂城は裸城同然となり、一歩一歩豊家は滅亡となる夏の陣へと進んでいくのである。

 それでは、下池田町見送り虹梁の『和議の段』の図柄を紹介することといたしましょう。

 


淀殿に和議の打診をす
下池田町 見送り虹梁左面

 大坂城を落とせずにいた家康は再三和議の打診を行い、家康の側室阿茶局をして淀殿の妹である常光院と事に当たらせた。阿茶局は和議の条件を示すも、淀殿が望んだ条件は一つも入っておらず、この中から条件一つを選べという。このことに淀殿は怒り狂い、長刀を持ち出して振り回し、妹常光院に対して「そちの顔など二度と見とうない」と和議を拒否して憎憎しく言葉を投げつける。

 


和議の勅使庭田大納言下向す
下池田町 見送り虹梁正面

  常光院と阿茶局に交渉の失敗を報された家康は朝廷を動かし、勅使・庭田大納言(「真田三代記」では庭田大納言「難波戦記」では廣橋大納言)・柳原大納言の下向を願い、勅命を以って和議をなさんとした。豊臣方も勅使なれば丁重に出迎えねばならず秀頼は鉄門まで出迎えた。また、城へは大砲による砲撃もあり強気の淀殿も和睦へと気が傾き、十二月二十二日和議は成立する。

 


長門守重成和議の血判受け取り
下池田町 見送り虹梁右面

 和議成立とともに、誓紙血判受け取りの使者を木村長門守・郡主馬助を選び、家康本陣のある茶臼山に向かわせた。捨て身の重成は様々の無礼をなして家康を怒らせ我が身を討たせ違勅を以って再度合戦をする口実を作る腹であった。そこで、対面の間に入る時も刀を持ち、「礼儀に従い刀を置いていかれよ」との相手の言葉にも、「戦の中なればこれが礼儀、気に入らぬなら立ち帰るぞ」と侮辱的な高言を吐いた。また、血判を押すときも家康の血判が薄いと受け取らず、様々な無礼をすれども老獪なる家康は引っ掛からず重成は無事血判を受け取るのである。

 


参考資料 : 下池田町地車新調記念誌


泉州岸和田住 祭狂爺爺 記

 

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