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大坂城を落とせずにいた家康は再三和議の打診を行い、家康の側室阿茶局をして淀殿の妹である常光院と事に当たらせた。阿茶局は和議の条件を示すも、淀殿が望んだ条件は一つも入っておらず、この中から条件一つを選べという。このことに淀殿は怒り狂い、長刀を持ち出して振り回し、妹常光院に対して「そちの顔など二度と見とうない」と和議を拒否して憎憎しく言葉を投げつける。
和議の勅使庭田大納言下向す |
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| 下池田町 見送り虹梁正面 |
常光院と阿茶局に交渉の失敗を報された家康は朝廷を動かし、勅使・庭田大納言(「真田三代記」では庭田大納言「難波戦記」では廣橋大納言)・柳原大納言の下向を願い、勅命を以って和議をなさんとした。豊臣方も勅使なれば丁重に出迎えねばならず秀頼は鉄門まで出迎えた。また、城へは大砲による砲撃もあり強気の淀殿も和睦へと気が傾き、十二月二十二日和議は成立する。
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| 下池田町 見送り虹梁右面 |
和議成立とともに、誓紙血判受け取りの使者を木村長門守・郡主馬助を選び、家康本陣のある茶臼山に向かわせた。捨て身の重成は様々の無礼をなして家康を怒らせ我が身を討たせ違勅を以って再度合戦をする口実を作る腹であった。そこで、対面の間に入る時も刀を持ち、「礼儀に従い刀を置いていかれよ」との相手の言葉にも、「戦の中なればこれが礼儀、気に入らぬなら立ち帰るぞ」と侮辱的な高言を吐いた。また、血判を押すときも家康の血判が薄いと受け取らず、様々な無礼をすれども老獪なる家康は引っ掛からず重成は無事血判を受け取るのである。
参考資料 : 下池田町地車新調記念誌
泉州岸和田住 祭狂爺爺 記