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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
 祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。
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2005年7月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

番付標(番号持)を眺めて〜旧市編〜



宮本町

 だんじりが曳っぱられているときは、前に責任者や町会長が乗っているのであまり気が付かないのであるが、地車だけになり正面から眺めると、その中心に取り付けられている彫り物がある。旧市地区では番付標(ばんづけひょう)あるいは番号持(ばんごうもち)と呼ばれている。その役目は宮入の順番を書き記すところである。
 いつ頃から取り付けられ始められたかは定かではないが、だんじり会館の旧五軒屋町の地車(文化・文政期製作)を見るとそこには取り付けられていないので江戸時代、文化・文政期にはなかったようである。察するに明治に入ってからつけられ始めたのではないかと思われる。

  現在は九月一日に行われる、中央・浜・天神地区が一同に会する三郷の寄り合いの籤引きにより決定された宮入順位を毎年そこに書き記されるのである。これは、岸城神社宮入の各町に限られていたのであるが、昨今は町名を刻んで取り付けられ、必需品になっている。こうなると、番付標にあらず町名標である。本来の意味からは離れているのである。沼の天神さんへ宮入の地車には本来ついておらず、今も筋海・並松・下野の各町にはついていない。沼町はかつて立て札形式に天一番と記したものであったが、現在は御祭神である菅公が座す番付標となっている。

上町

五軒屋町
  さて、その図柄は岸城神社宮本である宮本町・上町・五軒屋町の各町は神官が宮入順位を持つ形式を取っており、宮本町は笏に宮本だけ書き記してあり一番であることを示している。上町は宮本二番、五軒屋町は宮本三番と刻まれている。上町の神官は名匠開正藤が彫り刻んだ優美な神官である。

中之濱町  初代番付標
  個性的なものを見ると、中之浜町は横綱の土俵入りであり、新調当時の番付標は当時の人気横綱第三十八代照國万蔵をモデルとして木下瞬次郎師が刻んだものであったが、今は二代目となっている。また軍配に宮入順位が書き記されている洒落たものである。相撲取りに軍配という図柄は江戸時代、殿様の御前相撲に当町が強かったことから来ているという。

大北町
 大北町はお多福の彫り物である。出船入船の港で賑わい、大正九年の新調当時は岸和田が華やかなりし時であり大北では旦那衆が多く住み、かつては泉州楼という立派な料亭があり粋な遊びも催されていたのである。そういう町であり当時としては一万円という大金を費やして新調された地車であり、彫物責任者の一元林峰師も旦那衆に接待されて小粋に遊んだことと推察する。その遊び心の小粋さからお多福が番付を持つという図柄を刻んで林峰師が町に寄贈したのであろう。その裏には『大正九年九月拾参日大北甼(町)に寄贈ス 一元林峰』とある。

   
大手町 中町
中北町
 また、中北町の以前の番付標は坂田金時であったが、いろいろなる災厄が重なったこともあって修理を機に災厄が消えるようにと当町の纏を持った火消しに図柄が変わっている。 大手町は大黒天であり、中町とともに格好は異なるものの五穀豊穣・豊漁祈願や招福を願って彫られている。
   
紙屋町 北町

 紙屋町は宝船である。金銀珊瑚が積まれた船には皆と同じく五穀豊穣・豊漁祈願・招福を願ってのことである。 北町は勧進帳を持つ弁慶であるが少し年を入った弁慶である。思うに山伏が巻物を持っている姿とも思われ、山伏が災厄を祓うことをすることから、ために番付を持っているのかも判らない。しかしその表情はよく彫られており、これも木下舜次郎作である。以前は北町の番付は唐子であったとも聞いており、今これがつけられておれば面白い番付標となっていたであろう。しかし武者、合戦ものを好む土地柄としては唐子はあまり受入れられにくかった図柄なのかも分からない。

   
大工町 本町

 大工町・本町・堺町・南町は勧進帳の弁慶であるが、これは弁慶の読む勧進帳に宮入番付の納まりがよいことが一番の理由であると思われる。この中でも、平成七年新調の南町の弁慶は勧進帳を縦に持っており他のそれとは趣を異にしているのである。作は岸田恭司師である。

   
堺町 南町

 旧市地区では今もその役目は番付標であるが、その他の地区では先述の通り町名が記されており、町名標である。そこにはいろいろの工夫を凝らしたものもあり、皆様に紹介したいのであるが、今月はこれまでとして、来月号へと譲らせて頂きます。

 


写真提供 : 岸和田だんじり会館
野口写真
山本也寸志
井口和彰

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記

 

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