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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
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2006年3月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

彫物うんちく四方山ばなし 第十七話
 「太閤記 〜秀吉出世物語〜」 その弐

 

 前回は、藤吉郎が首尾よく北條軍の伊藤日向守を討ち取って、初陣の高名をあげたのであった。今回は「修行者藤吉郎を考相す」から話を始めよう。



「修行者藤吉郎を考相す」

田治米町 後水板 右平
 
 藤吉郎は主君松下の言いつけによって尾張国に赴こうとして矢矧の橋の茶店で暫く休息しておったが、遠近の旅人老若男女が打ち混じって休んでいる中に修行者が一人、藤吉郎をばつくづくと見つめてそばに招き、その顔かたちの相を熟察して大いに驚き申すには、
「あなたの相は奇妙なり、必ず天下の主となるべし。目前に見るところ賤しき下郎なれども今戦国の時にあたり、浅井、朝倉、今川、佐々木、北條、武田、上杉、をはじめ諸国の勇将覇権を争い天下を併呑せんとするその中に、あなたのような人に尊き相あること不思議なれ。われ年来和漢の相書に眼をさらし、修め得たる相法も今日はじめて疑いを起こした」
というと藤吉郎は大いに笑い、
「今は賤しき身なれども如何なることにて立身するやも知れん。今の言葉、後にそのとおりになれば厚く賞すべし」
と言い捨ててわかれた。

 この修行者は秀吉天下統一の時、安国寺恵慶和尚にして十万石を賜り天下の祈祷所となったのはこの考相の所以である。
 
 さて、藤吉郎は主君松下加兵衛から織田信長に主君を替えらんものと・・・

 


「藤吉郎信長卿に見参す」

畑町 縁葛 左平 『日吉信長初見参』
 
 
 永禄元年九月一日、織田信長は小牧山で狩をしていた。藤吉郎はこの時折よしと青い木綿の陣羽織を着し、両刀を差し御狩場に推参し大将にお目に掛かりたいと申せば、織田家の功臣柴田勝家怒って、
「わが君に直訴せんと推参するは、察するに敵国の間者なるべしからめ捕って拷問せよ」
と軍兵に命令して取り巻いた。藤吉郎は少しも恐れず、某は怪しき者には非ずと返答した。この様子を信長遥かに聞き給い藤吉郎を近くに召してその来歴を尋ねた。されば藤吉郎
「今日の狩に数多の鹿猿を得給えども天下国家にためには何の利益もございません。我一人を得給うとき忽ち天下を平定し四民万歳を唱えましょう。このことを申さんために推参せしものにございます」
されば信長、
「汝武道において何事か心得たるや」
との問いに、
「某は上は天文を悟り下は地理に通じその中において知らぬものはなく、弁せずものもなし」
と答えた。このことに驚いた信長は、まず手下としてその実否を正さんものと足軽頭藤井又右衛門に預けられた。

 その夜、藤井又右衛門は信長の仰せを承りその生国姓名を尋ねれば、
「当国中村に住し、父は先君備後守殿に仕え足軽を勤め、戦場にて膝口を射られ仕えをやめて百姓となった中村弥助でありその倅である中村藤吉郎と申す者。もちろん先に言い放った天文、地理の事などは一向に存ぜずただただ当家に奉公したいがための偽りである。そのためにお目に留まり、貴殿にもお尋ねに預かった。願わくばご推挙を以って願い上げたい」
と答える。
 藤井又右衛門はこの旨を言上すれば信長大いに笑い、不敵の振る舞い言語道断おかしき奴なりと中間に召抱えられお馬飼に仰せ付けられ、小猿小猿と召されるようになった。

 

「草履取り」

三田町 後屋根枡合 左平
 
 天下人になる人はその身分低き若き時より、主君に対し身を挺して至誠を尽くすものである。秀吉が信長公の草履取りになったときのことである。信長公もまだ若く夜な夜な密かに女の下に通っていた。内々のことゆえ草履取りだけを供としていたのである。
 ある雪の夜、部屋から帰ろうとする信長公が草履を履こうとすると暖かい。さては猿め草履を尻に敷いておったかと杖で猿めを打ち据えた。しかし、藤吉郎は
「尻なぞには敷いておりませぬ。寒い夜のことゆえ、御足が冷たかろうと懐に入れて暖めておりました」
と答えた。「偽りを申すな」と怒る信長公に肌着を脱いで見せると藤吉郎の腹には鼻緒の跡が残ってあった。このことに信長公はその至誠に感じ入り草履取り頭に任命するのである。
 
 草履取り頭を仰せつかった藤吉郎の皆より勤労が越えたるを感じ入った信長は今度は台所奉行に選び出した。
 
 

「藤吉郎小牧山の樹木を算(かぞ)う」

熊取町七山 小連子 左平
 
 台所奉行となった藤吉郎は諸事の無駄を省き工夫を以って、台所の物入りを少なきように取りきまりければ、始めて三十貫の扶持を賜った。

 ある時、小牧山の御狩のときに山中の樹木を数えるのに、多くの木なれば混雑して算えがたく人々大変に困ったるを、藤吉郎工夫を以って、細き縄を三尺ばかりに切って木の根にくくり付け総縄数いくらと定め置き、残りし縄を数えれば一本の相違もなく容易く数え終わった。これまた藤吉郎の才知なりと人々は感じ入ったという。

 

写真提供: 井口和彰
だんじり三番館

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記

 

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