今回は纏についてのお話であります。
纏はその町の象徴であり地車の分身であるともいわれます。また、その役目は地車が陸続きして曲がり角などで混雑の時、纏がその時点での先着後着の先行後行の鍵となる。先着は原則として先行するが、四辺の状況等でこれに限られていなく後着纏が先曳行する時もある。この判断決定は所轄年番が行うが、この時各地車の綱先世話人との入念な交渉話し合いが必要である。
例として先着纏の地車の曳行方向が大混雑でその曳行が困難なときなど。−だんぢり随意(宮本福太郎編)より−とあります。
また纏の位置に関しては「岸和田地車祭礼 地車曳行に関する自主規制 自主警備 平成十七年度祭礼年番」を見ると−各町地車の纏は常に自町綱先より十五メートル以内に位置し、副責任者又は綱元責任者(世話人)は、その前方にあって纏が先行することのないよう注意すること。−とある。そして、−地車の間隔は、綱先とその前の地車の後梃子との間は十メートル以上離れるよう注意し、綱先責任者(世話人)はこれを厳守すること。−となっている。
宮本町
岸城神社宮本一番の宮本町の纏は常用と宮入用の二種類の纏がある。常用の纏は縮緬の生地に町名を染め抜き、竿頭には岸城神社の木瓜紋を取り付けている。竿頭が金色に輝き紫色に染め抜かれた町名がはためく姿は簡素であり上品で美しい。
また、宮入用の纏は竿頭に金色で円形の三方正面の中に岸和田市の市章を図案化し、その中に岸城神社紋である橘紋と木瓜紋が配されており、その下には金色の馬簾が付けられた立派なものである。この纏は、現地車新調と同年の大正十年九月吉日源市(岸田一男)寄贈によるもので大変歴史のあるものである。
上 町
岸城神社宮本二番で穀物係である上町の纏は、竿頭に神社紋である木瓜紋の中に菱型の上の字が図案化されたものを彫刻したものを彩色したものである。その下には白色の馬簾が取り付けられている。
この纏が製作されたのは昭和五十一年であり、それまでは青色地に町名を染め抜いたものであった。
五軒屋町
岸城神社宮本三番で灯明係であった五軒屋町の纏は、その昔、文政十年(1827年)十一月、岸和田城天守閣が炎上(落雷のためといわれる)の時、付近の武家屋敷や町屋などへの類焼防止や消火活動に功績があったことにより、藩主より五色の馬簾の纏を拝領したことによるものだという。拝領物はないが祭りの時には、町民の誇りとしてこれを模した物が纏として使用されている。
竿頭には金色で円形の三方正面の中に五の字のマークが配され、下には五色の馬簾が取り付けられている。
また、かつてはえび茶色地に五の字のマークが染め抜かれた旗の纏も使用されていた。
北 町
北町の纏は竿頭には金色に輝く丸に北の字が取り付けられ、その下には赤・白・緑・黄・紫色に美しく染められた縮緬生地の吹流しであり、風に靡く姿は美しい。
吹流しが纏に使用されたのは北町の船溜りで風の方向を示す吹流し、もしくは北町の海辺近くにあった岡部公の馬場で、馬の調練日であることを知らせる印を模したものであると伝えられる。
堺 町
堺町は商家が沢山立ち並び、堺口御門があったところである。纏は竿頭に「キ」の字四つを菱に組み合わせ、その中に「堺」の文字を組み入れたものが取り付けられている。いわゆる、岸・堺町を表している。また、一説には「キ」の字が堺口御門の門の字を図案化し菱型は口を表すことによるものとか、あるいは岸和田の「岸」の字の一部分「干」(市章になっている)を図案化したものであるともいわれる。その下には五色の馬簾が付けられた立派なものである。竿頭は金色のものと、欅で彫刻されたものと二種類ある。
本 町
古い家並が昔の城下町の情緒を醸し出す風情ある町である。纏は風情ある町にマッチするかのような岡部公から拝領されたといわれる唐人笠兜である。岡部家は朝鮮通信使の接待役を数度務めており、城下の中心であった本町はその関係から何らかの貢献により恩賞として頂いた物であるといわれている。
南 町
南町には有名な天性寺蛸地蔵があり、地車にも蛸地蔵の縁起から蛸に乗った法師が錫杖を持ち奮戦する姿や蛸の彫物が見受けられる。ここの纏は竿頭に蛸を図案化し、「南」の字を頂き、その下には白の馬簾が取り付けられているが、馬簾の裾模様には波紋が配されている。この纏は平成七年の現地車新調時に新しくデザインを一新して新調されたものである。
大北町
かつて出船入船で活況を呈し、港があった大北町は、曳き出し一番にカンカン場に登場する町である、その先頭には金の大瓢箪に白の御幣、日の丸扇子に馬簾が舞う。大北町の纏が先を切るのである。この大北町の纏も岡部公より拝領したと伝えられ瓢箪を模したものであるといわれている。
中北町
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| 旧まとい |
黒に町紋が染め抜かれた法被の中北町は、その気質も威勢良く、地車を遣り回すのには定評がある。その気質を表すかのごとく、纏は白の三方に黒地で中北と町紋を配した簡素なものでさっぱりとしていた。その下には白の馬簾が取り付けられ、裾には二本の黒い線が引かれている。
しかし、平成十八年地車新調とともに纏は一新され、現在は町紋を形取った機械的な三面のものを竿頭にして、下には金色の馬簾が付けられている。
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