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祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
祭礼の歴史や、だんじりの彫物などにまつわるよもやま話をお楽しみください。 |
バックナンバー
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| 2006年10月号 |
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纏を眺めて〜旧市編 その弐〜
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今回も前回に引き続きまして纏のお話であります。前回、纏の紹介が中北町で終わりましたので、今回は大手町からの紹介であります。
大手町
岸和田城の大手門の下りに、町が位置したことからその名がついた大手町。かつて町内の浜辺には潮見櫓があって、櫓番が常駐して外来からの敵の襲撃を見張ったり、風向きや潮の干満などを調べていたという。
かつての纏には大きな手の模型に大の字を書き入れた洒落っ気のあるものがあった。ほかには、見送りなどが太閤記の彫物によることから、五つの瓢箪に五色の馬簾の纏もあった。
現在の纏は、大手町の町紋が真鍮の三方正面に、下には法被の裾模様をあしらった馬簾となっており、馬簾の裏の赤色が纏を振り回した時に鮮やかに見え隠れをする。
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紙屋町
宵宮前日の試験曳きの朝、行者講を中心に不動明王・役行者・弘法大師の三尊をお祀りして般若心経を唱え、護摩を焚き、炎の上に祭り用品を通して安全祈願を行うという紙屋町は、かつて(大正十年〜昭和初期頃まで)の祭礼には“ちょん髷”姿で、一本矢の下に赤地色に白く紙屋町と染め抜いたのを持って走っていたという。
現在は金の丸の三方正面の中に、矢違いの町紋である「噛み矢」があしらわれている。その下にはエンジ、黒、白色の馬簾が付けられている。
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中之濱町
かつて魚市場のあった中之濱町は朝早くからせりの声が聞かれた元気の良い町であった。そのせいか力自慢の人も多かったという。
纏は、その昔、岡部公治世のとき、城内で素人相撲大会が行われ、当町の志形屋権七という人が見事優勝して軍配を授与された。中之濱町ではこれを誇りとして、軍配を模して、今もこれを町の象徴として使用されているのである。「天下泰平
中之濱」といわれる所以である。
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中 町
石垣筋の残る中町は、かつて浜の庄屋が在住した格のあった町である。かつての纏は緑の地に中町としるされた吊り下げの旗であったが、昭和五十一年の地車大修理の折、竿頭に中の字を図案化し、中ほどには編み笠様のものがあり、下部には馬簾が付けられていたものが新調された。
現在は波に中の字をあしらった欅の彫物を竿頭に下には白と紫色の紐の馬簾が取り付けられている。
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大工町
町名の由来は、船大工さんが多く居住したことからという。今でも漁師さんが住まいするが、かつては漁師さんが数多く住まいした町であった。
纏の長刀は、その昔、岡部公が参勤交代の折、兵庫の港から船で帰る途中、大しけにあい、危険な状態になったので、城内より城下七浦の漁師たちに救助応援を依頼した。そこで一番先に大工町の漁師が救助に向かい、無事に岸和田の港まで御座船を守り着船した。その功績により長刀と番匠笠を拝領したと伝えられる。この名誉ある長刀を模造して町の纏となっている。
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沼 町
沼の天神さんの宮本である沼町は宮入が常一番の天一番である。
寛永十七年(1640年)岡部家初代宣勝入城に際し、百八ヶ村の年貢減石の直訴を、代表して数名が命をかけて欄干橋でおこなった。その数名の一人が沼村の川崎久左衛門であった。
纏は昭和二十五年までは、赤地に白く沼と染め抜いたものであったが、現在は金色の打出の小槌に沼の字がしるされたものが竿頭に、下には金の馬簾が取り付けられている。
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筋海町
岸和田天神宮への宮入は常二番である天二番の筋海町は、大屋根が軒唐破風という数ある岸和田型地車のなかでも個性的な地車である。
その先を切る纏は、地車が軽快に良走するようにという願いが込められて、波濤の上を変転自在に駆ける兎の意匠である。欅に波に兎の意匠が彫刻され、これを竿頭に、下には白のラシャ地の馬簾が取り付けられている。見るからに軽快な纏である。
一説には兎が旧町名の一つである餌差町の鷹匠に関係あるともいわれるが定かではない。
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下野町
下野町はかつて野村と呼ばれ、その上が上野町、下が下野町となったのである。
現在下野町地車は、旧市最古参の地車になっている。彫物は保田卯(宇)ノ松と開正藤が刻んだ味わいのある彫物が彫られている。
そして、この地車を従える纏は、末広がりで縁起の良い扇子の意匠である。竿頭に金色に輝く扇子に下野町としるされ、下には白の馬簾に三本の赤い線が入ったものである。
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並松町
岡部宣勝が入城して以来、沼領新屋敷として分割され、城下に組み込まれ、紀州街道沿いの地内は藩士の居住地区として開発された。そして、紀州街道の両側の土手に松並木があったことから、並松町となったといわれる。
纏はこの松の図案化で、竿頭には金色の松の図案化されたものの中に、赤色で並松としるされ、その下には唐紅に白色の線が二本アクセントをつけている。また、馬簾上部には白毛があしらわれている。
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藤井町
藤井町の町名は町内の中央に湧く弁天池に由来するといわれる。かつて祀られていた村の鎮守である弁天宮の名残があるところである。
地車は平成四年(五年完成)に新調されたもので、地車の大きさは岸和田最大級であり、彫物は「信長公記」を主題にしたもので見応えがある。
この大きな地車を導く纏は欅に町紋が彫られたものを竿頭に、下には緑色の馬簾が付けられ上部には白毛が付けられている。
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別所町
平成十四年(2002年)約四十年ぶりに岸和田祭りへの曳き入れ復活を果たした別所町は、かつて村内に鎮守の熊野神社があった。
纏はそれに因み、神武帝が東征の砌、熊野から大和まで先導したといわれる八咫烏が取り入れられている。
二羽の八咫烏と雲の中に別所町としるされたものが欅で彫られ、これを竿頭にして、なぎの枝と御幣を添え、下には黒い毛が取り付けられている。
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春木南
春木南は春木南浜町、春木北浜町、春木泉町の三町で成り立っている。平成十一年には岸和田最大級の地車が新調され、その大きさに多くの人が驚かされた。宮入は弥栄神社に一番で宮入りする。
宮入を先導する纏は、漁師が多いことから魚の王者である鯛を意匠にしたという。また大漁、目出鯛にも通じるところである。鯛を竿頭に下には白の馬簾に町紋が入っている。
かつては竿頭の鯛は欅の彫り物であった。また別に、紫に春木南と染め抜かれた旗もあった。
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南上町
平成十九年に岸和田祭りに曳き入れられる南上町は昭和三十二年に岸和田市中北町で新調された地車を平成十七年に同町から購入したものである。
この地車を中心に現在は町内曳行で一丸となりつつある南上町である。
この団結の象徴となる南上町の纏は屋久杉に町紋を彫刻したものを竿頭に下には白と青色の馬簾が取り付けられている。
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泉州岸和田住 祭狂爺爺 記 |
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