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presented by 岸和田だんじり祭振興会 

 
 祭狂爺爺がお届けするだんじりコラム。
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2006年11月号

祭狂爺爺のだんじりコラム

地車を支える工匠をたづねて <大工編その六>

  2002年7月号 “地車を支える工匠をたづねて<大工編その五>”に続くのだんじりコラムの増補号としまして、“地車を支える工匠をたづねて<大工編その六>”を書きたいと思います。
  このシリーズは書いてからしばらくたっておりますので、新生の工務店がしばらく漏れておりましたことをお詫びいたします。
 
  今回は泉谷工務店と板谷工務店の紹介です。

 

泉谷工務店

和泉市黒鳥町上泉の地車
  昭和五十三年生まれ、現在二十八歳の若き大工棟梁泉谷浩文師は平成五年四月、十四歳で天野工務店に弟子入りし、平成十二年までの八年間に十六台の地車に携わり、天野工務店が種々の事情により閉鎖を余儀なくされるまで務められた。
  その後、若野工務店に助として参画する。平成十三年には同門の北本工務店のところに助として参画し、和泉市箕形町地車新調製作時には脇棟梁として腕を揮っている。
  そして平成十四年十一月三日泉谷工務店として泉大津市板原町に開業した。開業後、平成十五年には若野工務店から大阪狭山市大野地車を大修理、平成十六年には和泉市黒鳥町上泉の地車新調を下請けしている。
  初めての請負仕事としては平成十六年に大阪狭山市茱萸木地車の修理をし、貝塚市二色の修理も請け負っている。また平成十八年には宝塚市川面西地車の大修理をこなし、同じく貝塚市二色地車の大修理も請け負っている。
  平成十七年には和泉市寺門町地車の新調が決定し、泉谷師は「施主が喜んでくれるような仕事をしたい」と平成二十二年完成を目指し思いをめぐらし頑張っている。


 

板谷工務店

熊取町五門の地車
 板谷工務店は平成十六年七月に創業された若手工務店の中では一番新しい工務店である。 しかし、現在三十七歳の代表の板谷始師は大工としての経験は古く、十五歳から建築の道に進んだ。
  というのは、父と兄弟七人の内五人の男兄弟の内四人が大工という環境の中で育ったせいであろう。自分も早く大工になりたいと、父のもとに弟子入りした。そして十九歳の時にはばりばりと家を建てていたという。
  しかし、家だけを建てているほかにも何か自分の腕を試す仕事はないものかと考えていた。そのとき、地元熊取町五門の地車が大下工務店にて修理されたことが縁となり大下師の誘いで二十二歳のとき、地車製作の道に入ったという。
  地車の道の入ってからは建築との違いから仕事の上で悔しい思いもしたといわれる。しかし、平成十六年に独立され、平成二十年新調の岸和田市神須屋町地車の製作に向け頑張られている。
  独立に際し、板谷師は「親方に恥のかかさんものを造ります」と言い、親方も「しっかりやれ」といわれたという。板谷師はいう、「基本は親方である。しかし、真似だけではない、自分の個性を出したい」と、これからの活躍が楽しみである。

 

写真提供:だんじり名鑑

泉州岸和田住 祭狂爺爺 記

 

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